ひとりでいること、だれかといること
移動にかかるお金が日本に比べて圧倒的に安い。
見るものすべてか珍しい。
気分転換。
理由はいろいろあるけれど、とりあえず留学に来て旅行ばかりしている。
それは、ヨーロッパに来たからには、いろんなものを見なければ、という強迫観念みたいなものと、外国にいることで引き起こされるストレスを解消したい、という欲求によるところが大きい。
ひとりで行ったり、友達と行ったり、友達を訪ねたり。
同じ場所でも、一緒に行く人が違えば感じ方が変わる。
それは、人によって見えるものが違うから。
わたしは、結構人為的なものに心惹かれる。
それが証拠に、私のカメラロールは、建物だの銅像だの人が作ったものばかりだ。
街歩きをしていると、まず、自分の目に入るのは建物。日本ではまずお目にかかれない、ピンクやら黄色やらのパステルカラーの石造りの建物が隙間なくと並んでいる(日本の現行の建築法には間違いなく違反してるだろう)。そこに、彫刻やら紋章やらがついていたり、絵が描かれていたりする。
だれが、何を思ってこの建物を建てたんだろう、とか、ここに住んでいる人は、同幾景色を見ているんだろう、とか、いろいろ想像するのが楽しい。
特に、お城に行ったときはそうだ。
お城はたいてい、眺めのいいところにある。
だから、ああ、代々の王様は、こんな素敵な景色を見ていたんだなあ、とか、このお城は、城下の発展を見てきたんだなあ、というふうに思いをはせる。
そのお城で行われている展示を見たり、歴史的な事実の羅列を聞くことは自分にとって特に重要ではなくて、ただ、そこにいたであろう人を想像したり、そのお城が見てきたであろうことを、景色を眺めながらぼんやり考える瞬間が好きだ。
↑プラハ城からの眺め
ひとりでいると、自分の世界がすべてだ。誰にも邪魔されないその時間は、自分にとってとても大切で楽しい。
でも、人となにか目新しいものを見に行くのも面白い。
もう目が増えれば、自分ひとりでは見えないものが見えるから。
例えば、父は、ガイドブックみたいな人だ。
地図も頭に入っているし、目的地の情報も事前に予習している。
だから、私みたいに、想像することはしないけれど、そのかわり、一緒に旅行すると、情報が実体を伴って脳に刻み込まれる。
自然、特に水に心惹かれる友人と旅行をすると、私が普段全く目を向けない川や池に注目することになる。
私が川を見るときは、必ず橋や船など、人為的なものとセットだ。
でも、その友人は、水紋や水鳥など、川そのものに目を向ける。
日本とチェコの水紋は違う、と言われた。そんなこと気にしたこともなかった。
目が増えると、見え方もその分増える。
そして、次の旅行からは、自分の目も増えるような気がする。