結局どうしてほしい?

「Dobry den」(こんにちわ!)

お店に入ると必ず、店員さんにこうあいさつされる。

日本の服屋さんみたいにめっちゃ話しかけてくるんやろか、やめてほしいな。。。(チェコ語わからないのもあるけれど、基本的に店員さんに絡まれるのが苦手です。笑)

って思ったけど、店員さんは積極的にお客さんに話しかける様子もない。

ひとしきり物色して、何も買わずに帰ろうとしたら、

「 Na shledanou!」(さようなら!)

と大きな声で言われてびっくりした。泥棒とまちがわれたんかと思った。

(現地学生によると、ベーシックな接客らしい。笑)

 

こんな風に、チェコ語で話しかけてくれるとなんかうれしい。

確かにわたしは、ここでは「外国人」で、外の人、ではあるけれど、現地の人と同じように対応してくれたんだなーと思うと、「観光客」じゃなくなったような気がする。

まあ、挨拶以外は、状況と相手の表情とでだいたい何言ってるかあてるゲームだと思ってるけど。

 

お店に入った瞬間に、Hello!って言われて英語のメニューを渡されると、自分が外国人であることを実感させられる。

 

相手が気を使ってくれているのはわかるし、ありがたい。

なんなら自分も、同僚も、ホテルの受付をするときに、明らかに外国人観光客だ、と思われる人には最初から英語で話しかけるようにしていた。英語も日本語も通じない人に対しても、なぜか日本語ではなく英語で話しかけていた。

 

でも、自分がいざそうされると、なんだか疎外感を感じる。数少ないチェコ語の知識と、グーグル翻訳に頼って料理を注文して、なんかよくわからないものが出てくることはないけれど。

 

一方で、英語対応がないことにいら立つ自分もいる。

それは、自分が「外国人」であることが前提のシチュエーションにおいてよく起こる。

 

例えば、移民局。

移民局に用事のある人は、外国人しかいないのにもかかわらず、英語対応がない。電話口で英語をしゃべった瞬間に切られたこともある。

チェコ語なんかチェコでしか話されてないし、移民局に行くのはEU外とかシェンゲン外の人間がほとんどなんだから、英語が話せてもいいのでは?と思ってしまった。

(こんなこと言ってるけど、日本の地方の役所とか警察とか、英語しゃべれなさそうだなあ。。。)

 

矛盾である。

なんともわがままなのである。

 

が、要は、受け入れてほしいな、ってことなのだと思う。

 

チェコ語で話しかけてくれてうれしいのは、自分が「観光客」としてではなく、地元のお客さんとして扱ってもらえている(ような気がする)から。

行政サービスに、英語で対応してよ!って思うのは、外国人だから排除されているんだな、と感じてしまうから。(さすが、積極的に移民は受け入れませんと公言してる国だ。)

 

こういうところは、たぶん、日本とチェコは似てる気がする。

日本に留学に来ている人も同じことを思っているのだろうか。

 

まじでプラハ修道院の図書館きれい!